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学校行事

2019年度<海外サマースクール>リポート

2019/08/20

第1週

7月14日(日)~31日(水)の18日間、45回目となる海外サマースクールが実施されました。今年は、約2週間のアイルランドでの英語研修の後、フュッセン1泊、ザルツブルグ2泊と南ドイツおよびオーストリアを見学しました。アイルランドでの宿泊については、例年は大学のドミトリー1週間とホームステイ1週間としていましたが、英語を使う機会をより増やし、英語圏の日常生活に対する理解を深めるため、今回は2週間のホームステイとなりました。

●語学研修

アイルランド滞在中に1週間あたり15時間の授業を受講しました。語学研修は、アイルランドの首都ダブリンからバスで20分ほどの場所にあるDublin City University(DCU)で行われ、まずレベル診断テストから始まります。このテストでは、Cambridge English監修の試験を用いて、英語4技能の力を測定します。テストの結果は、語学の熟達度を測る国際的な基準として用いられているCEFR(外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠(Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessment))に基づいて評価され、生徒のレベルに合ったクラスに割り振られました。EFRは、2020年度から始まる新しい大学入試制度でも用いられることになっています。

今回は、同時期にクロアチアから来た生徒と一緒に試験を受験をしました。その後、アイルランドに関する知識をクロスワードで理解したり、アイルランド英語に特徴的な表現を学んだりして、翌日から始まる授業に向けて準備をしました。駿台学園にはアイルランド出身のALTがいますので、日ごろからアイルランドの英語には慣れ親しんでいます。その甲斐もあり、すべて英語の授業にも臆することなく取り組んでいました。

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語学の学習は、座学の授業だけではなく、スポーツや各見学地でも行われます。毎日、授業以外にアクティビティリーダー引率のもと様々な活動が組まれていて、これが英語の学習の上でも非常に意義ある時間になっています。次に、今年の主なアクティヴィティーについてご紹介しましょう。

 

7月17日(水) St. Patrick’s Cathedral 見学

アイルランドで最大の教会の聖パトリック大聖堂St. Patrick’s Cathedralの見学も行いました。この教会は、アイルランドの守護聖人・聖パトリックの名前にちなんでいます。この教会では、5世紀ごろに改宗者の洗礼が行われたとされています。『ガリヴァー旅行記』の作者で知られるジョナサン・スイフトが18世紀に大主教を務めたこともあり、彼と彼の恋人の墓があります。ゴシック様式の壮麗な外観が印象的な建物ですが、生徒は建物内の外光の照らされ方によって異なる輝きを放つステンドグラスの美しさに魅了されていました。当日は、聖歌隊による合唱が行われ、4,000 本以上ものパイプを持つアイルランド有数の大きさのオルガンが中世に作られた壁に響く音色に耳を傾けました。

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7月19日(金) National Botanic Gardens訪問

この日はDCUから徒歩15~20分の所に位置するNational Botanic Gardens of Irelandを訪れました。アクティビティリーダーの引率のもと、今回はイタリア人のグループと一緒に行動しました。

National Botanic Gardensは、1975年に設立され、19.5ヘクタール(東京ドーム4つ分強)の敷地に2万種類以上の植物が生育しています。園内に入ってまず目を引く建物は、鉄骨とガラスを使った建築を得意とした建築家リチャード・ターナーが25年もの歳月をかけて設計し1896年に完成したヴィクトリア様式の温室で、曲線を主体とした美しいデザインで有名です。

園内には、高山植物、ハーブガーデン、熱帯の植物、バレンと呼ばれる岩がゴロゴロしたアイルランド特有のロックガーデンがテーマ別にレイアウトされています。

アイルランドの主食はジャガイモというイメージがあるかもしれませんが、過去には「ジャガイモ飢饉」と呼ばれる大変な不作に見舞われたこともありました。1845年8月にDavid Mooreがこの植物園のジャガイモが疫病に感染していることを発見し、この地からアイルランド全土に拡散してしまった悲惨な歴史を学びました。植物だけではなく、小動物が生息しており、リスを見つけた時にはその物珍しさに驚いていました。

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7月20日(土) Excursion to Kilkenny

週末はアイルランドの首都ダブリンから少し遠出をして、遠足に出かけました。今年は、7月20日(土)に首都ダブリンからバスで2時間ほどの場所にあるKilkennyへ、21日(日)にダブリン郊外のGlendaloughから海岸線の町Brayに行きました。

キルケニーでは、キルケニー城と守護聖人聖カニス大聖堂の見学を行いました。キルケニー城は、12世紀に建設され、バトラー家の居城として使われました。城の裏手には、広大な芝生の庭があります。今回は、イタリアから来た生徒たちと一緒に出掛け、ホームステイ先から持ってきた昼食をとったり、芝生でくつろいだりして過ごしました。

「キルケニー」という地名の由来になった町のシンボルともいえる守護聖人聖カニス大聖堂では、ラウンドタワーから、キルケニーの街が見渡せます。今年は、このラウンドタワーにも登りました。現在の大聖堂は13世紀に建てられたものですが、そのすぐ隣にあるラウンドタワーはそれよりもさらに古く、11世紀ごろに建設されたキルケニーで最も古い建造物です。急な階段を上った世紀には、キルケニーの町全体を望める景色が広がっていました。教会内部では美しいステンドグラスや、キルケニーの領主ピアース・バトラーとその妻の墓などを見ました。

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7月21日(日) <Excursion to Glendalough>

週末の日曜日は、首都ダブリンからバスで1時間半ほどの場所にあるGlendalough(グレンダロック)に行きました。「グレンダロック」はゲール語で「ふたつの湖の谷」という意味があり、その名の通りロウアー・レイク(Lower Lake)とアッパー・レイク(Upper Lake)の2つの湖があります。

またアイルランドにおけるキリスト教の聖地としても有名で、30mほどの高さがあるラウンドタワーや石積みで造られた聖ケヴィン教会などの初期キリスト教会遺跡群も残されています。現在は人気のハイキングエリアとして、多くの観光客から親しまれているとのことでした。

生徒たちは、グレンダロック・ビジターセンターで、ツアーガイドによるアイルランドの修道院の歴史や発掘された展示物などの説明をうけました。

1週間の滞在で、英語を聞きとる力が少しずつ身についてきたようで、ツアーガイドから塔の役割について質問された際も、生徒たちは一所懸命に答えていました。説明の後は、初期キリスト教会遺跡群を見学し、アッパー・レイクへと向かいました。小雨の降る中、30分ほど歩くと、緩やかなU字谷に囲まれたアッパー・レイクが姿を現し、生徒たちは広大な湖の前で、写真撮影や水切りを楽しんでいる様子でした。

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その後、グレンダロックを出発し、ダブリンから南に20kmの場所にある海辺の街Bray(ブレイ)も訪れました。Brayは自然が美しいことで知られ、リゾートタウンとして人気の場所だそうです。Glendaloughで緑豊かな自然を体験した後だったので、バスの車窓から海を見た瞬間に生徒から歓声が上がりました。また当日は、偶然にもFood FestivalやSeafront Funfair Bray(大がかりな移動式遊園地のようなもの)の初日で、初めて見る外国の遊園地に、生徒たちは興奮している様子でした。ジェットコースターに乗ったり、水平線を眺めたりするなど、思い思いの時間を過ごしていました。

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第2週

7月23日(火) Croke Park Stadium Tour

Croke Park Stadiumはアイルランド最大の競技場で、アイルランドの国技であるゲーリックフットボール(アイルランド独特のラグビー)やハーリング(アイルランド独特のホッケーとサッカーが融合したような競技)の試合を中心に、コンサートや国際大会のなどの会場として利用されています。過去には、アイルランドのロックバンドU2やアメリカの歌手ビヨンセがコンサートを開催しています。Croke Park Stadiumでは、実際に選手が使用しているロッカールームやシャワールーム、競技場などを見学することができ、広大な観客席を目の当たりにした生徒たちは、驚きの声をあげていました。

またハーリングスティックでボールを打ったり、ゲーリックフットボールの球を蹴ったりとゲーリックフットボールやハーリングの基本動作を体験できるアトラクションもありました。生徒たちも早速挑戦していましたが、身長の高いバレーボール部の生徒やバスケットボール経験のある生徒が好記録を出すと、一緒に参加していたロシアの留学生から拍手がおこりました。

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7月22日(月)・24日(水)・25日(木) <Sports and Activity>

生徒たちが学ぶDCUには、サッカーコート2面分ほどの広大な芝生の運動場があります。最初は言葉が通じず、交流の機会も少なかったスロバキアやイタリアの留学生とも、サッカーやバレーボール、ドッジボールなどのゲームを通して、次第に打ち解けるようになりました。なかには、留学生からおすすめのお店を教えてもらったり、連絡先を交換したりする生徒もいました。爽やかな日差しの中で、生徒たちは全力でスポーツや交流を楽しんでいました。

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7月26日(金) <Scavenger Hunt>

語学研修最後のActivityは、ダブリン市内でのScavenger Huntでした。Scavenger Hunt文字通りには「ゴミ狩り」ということになりますが、ワークシートに記された課題や質問にこたえていくゲームです。今回の課題は、アイルランドのお土産やお気に入りの風景などの写真をスマートフォンで撮影するというものでした。

ダブリン中心部オコンネル・ストリートにある中央郵便局からスタートし(この建物には、英国からの独立闘争時代の弾痕が残っています)、生徒たちは思い思いの写真を撮影していました。なかには、仲良くなったスロバキアの留学生と一緒にダブリン市内を散策する生徒もいました。

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7月26日(金) 修了式

アイルランド最終日には、この2週間のクライマックスとなる修了式が行われました。この2週間の授業やホームステイで英語を聞き取る力が格段に向上し、一人ずつ手渡された修了証には語学研修を経てできるようになったことやCEFRのレベルが記載されています。一般に、ヨーロッパの生徒と比べて、話すことに弱点がありますが、アイルランドに来た当初は英語が話せないと言っていた生徒も、少しずつ自信をつけ、他国の生徒と交流を図るようになりました。授業を担当した先生からも、駿台の生徒の反応の良さに感心しているとコメントをもらいました。

生徒たちは互いに修了証を見せ合い、自分のレベルを確認していました。多くの生徒が、授業やActivityを重ねるうちに、英語が聞きとれるようになってきたと話していました。もっと授業を受けたいと話す生徒も少なからずいて、英語を聞く力を実感しているようでした。

DCUからDublin空港近くのホテルへ向かうタクシーの車中では、運転手との英語でのやり取りにも物怖じせず応えていました。南ドイツおよびオーストリア・ザルツブルグでの研修旅行に向かいました。 

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研修後の旅行

7月27日(土) ダブリン→ミュンヘン→フュッセン

昨日で2週間にわたるアイルランドでの英語の研修を終え、今日からは3泊4日のヨーロッパ見学となります。単に英語を学んだだけでは会話は成立しません。日本のことしか知らないと、諸外国の人と共通の話題が見つけられません。各国の歴史や文化を知ることは、英語でのコミュニケーションの力を向上させるために必須です。そのための一助となれば、という旅行です。

早朝05:00にホテルから空港向けシャトルバスに乗って出発の予定でしたが、どうしたものかバスが現れたのは05:22。この20分のロスは大きかったかもしれません。空港到着後直ちにチェックインの手続きをとり、いよいよアイルランドを後にします。DCUでの語学研修を終え、生徒それぞれの感慨があったことと思います。

定刻よりやや遅れてアイルランドを飛び立つと、飛行中ほぼ常に眼下に雲が広がっていました。フランスでは記録的な暑さという報道でしたが、ドイツはどうでしょうか。

ミュンヘン空港到着後、EU以外の旅券を持つ人には入国審査前が長蛇の列。英国人もEUを脱退するとこちらに並ぶんだろうな、などと言い合いながら生徒は辛抱強く並びました。さらに運悪く、6人分がロストバゲージ。チェックインが遅れた影響でしょうか。荷物に関して所定の手続きをとり空港を出発したのは、予定より1時間半遅れです。本日は少々ツキがない印象。

ドイツ到着後最初の食事は、名高いミュンヘンのネオゴシック風市役所の地下のレストランで、この地域の名物である白ソーセージ。ソーセージというと通常は豚肉ですが、この白ソーセージに限っては仔牛から作り、非常に淡泊です。甘いマスタードと一緒に食べるのがこのミュンヘンがあるバイエルン地方の伝統です。生徒は、少々珍しいソーセージを堪能していました。

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昼食を終えて外に出ると本降りの雨。市役所前のマリエンプラッツでしばし写真を撮り、近くのペーター教会を覗く間に雨はほぼ上がりました。バイエルン州の歌劇場の前等を徒歩で移動しバスに乗車して、BMWの博物館へ。

ドイツには何社か世界的な自動車メーカーがありますが、ここミュンヘンはBMW(正式名称Bayerische Motoren Werke 、直訳すれば「バイエルン自動車製作所」)のお膝元です。博物館内にはBMWの過去から現在までの二輪車と自動車、さらにはグループ企業の生産する車が所狭しと展示されていました。なお、この博物館の近くには1972年のミュンヘン五輪のメインスタジアムがあります。ミュンヘン五輪では、駿台ともご縁の深かった松平康隆監督率いる男子バレーボールが金メダルをとり、その他体操、柔道、水泳、男子レスリングなどで日本は計15の金を取っています。

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BMW見学の後は、バスで南西方面に移動。次の見学場所は、世界遺産として知られるヴィース教会です。ドイツのバロック~ロココを代表する美しい教会です。生徒たちは、日本の寺院とは全く異なる、明るい教会内のパステルカラーと金色からなる装飾に驚いた様子でした。

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本日はノイシュヴァンシュタイン城の近くのフュッセンに宿泊です。ヴィース教会からフュッセンはバスで30分。ホテル到着後は、これまた典型的なバイエルン料理であるシュヴァイン・ハクセン(豚の関節骨付肉のグリル)が出ました。男子には好評だったようですが、骨付きとはいえ一人あたりソフトボール2個分ほどのヴォリュームに、女子はかなり困っていた様子でした。これなどは、東京で提供するレストランはほぼ皆無、ここまで来ないと食べられない珍味です。

 

7月28日(日) ノイシュヴァンシュタイン→ザルツブルク

今回の参加者の中には、ノイシュヴァンシュタイン城見学を楽しみにしていた生徒が少なくなかったようです。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルの一つとも言われますが、実際かなり似ています。ただし、実はこの城は1870年頃に建設が始められたかなり新しい城であり、要所に当時の最新テクノロジーが採用されていて、中世の趣をもつ外見とはうらはらに実態は鉄骨コンクリート造りの近代建築です。ゲルマン神話や中世騎士道物語と最新テクノロジーを愛好したバイエルン王ルートヴィヒ2世のまさに道楽のための城と言えます。

予報は雨だったものの、天候は運良く薄曇り。猛暑のフランスと違って涼しく快適な気温です。特設のシャトルバスで急勾配を上ること数分で、城のすぐ近くに到着。まずは谷間にかかる細い橋から城の全景を眺め、その後にいよいよ入城。

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白鳥のように白くすっきりした外見とは対照的に内装はヴァグナーのオペラや楽劇に触発されたやや暗くドロドロとした装飾が多いのが特徴です。生徒は予想が裏切られたという印象を持ったかもしれません。遠くから眺めるのが無難(?)な城なのでしょうか。約1時間の城内見学でしたが、最後に見た非常に近代的なキッチンが印象的でした。浪費癖が甚だしかったルートヴィヒ2世は「狂王」扱いされて幽閉の上謎の死をとげました。この城に住んだのは合計でわずか170日ほどだったそうです。

ノイシュヴァンシュタイン城見学後、今度は馬車に乗って下山。バスで昼食会場のレストランに移動して、ハンガリー起源のグーラシュスープとバイエルン名物のはんぺん状のソーセージとも言うべきレバーケーゼの昼食をとりました。

ここからはザルツブルクに向けて少々長い移動になります。移動途中は雨が降ったりやんだりという天気。夏休み期間の土曜日ということで、途中のアウトバーンが混雑していたためザルツブルク到着は1時間30分遅れ。ヘルブルン宮殿の見学はやむなく諦めて、市の中心部にあるモーツァルトの生家に向かいました。

鮮やかな黄色い壁が特徴的なモーツァルトの生まれた家は、ザルツブルク旧市街の中心に近いゲトライデ通りにあります。この建物の上階部分が現在記念館になっていて公開されています。モーツァルト一家の略歴、遺品、モーツァルトの作品にからんだ展示などを通し、この天才作曲家の人となりの一端を知ることができます。モーツァルトというとオーストリア人というイメージですが、当時ザルツブルクは独立した大司教領であり、文化圏的にはバイエルンに近かったこと、イタリアやパリにも旅をして道中馬車の中で父親から音楽以外の語学その他の手ほどきを受けたことなど、18世紀後半のヨーロッパの有り様も学ぶことができたと思います。

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夕食は、モーツァルト生家のすぐ近くのカフェ・モーツァルトで。メニューは「Bauernschmaus」とよばれる、農民風各種肉の盛り合わせです。旅行に出てから肉続きで男子には好評だったようですが、ここでも女子は少々げんなりか。しかし、食後のデザートは毎回美味で、さすが今回もカフェ・モーツァルトだけあり、オーストリアならではのケーキに女子はこちらに満足していた様子でした。

今日から2泊はザルツブルク中央駅近くの近代的なホテルに連泊です。

 

7月29日(月) ベルヒテスガーデン

昨日国境こ越えてドイツのバイエルン州からオーストリアのザルツブルク州に入ったものの、本日は再びドイツ側の小さな町ベルヒテスガーデンへ。もととも国境線はジグザグ状に入り組んでいて、まっすぐに道を進むと何度も何度も国境を越えるといった地域です。そもそも、国境があまり深い意味を持っていない場所であり、こういった地域にこそ統合されたEUは便利な存在と言えるかもしれません。

天候は薄曇りでときおり霧雨。最悪ではないものの、やや残念な空模様でした。ザルツブルクからベルヒテスガーデンまではバスで約40分ほど。この小さな田舎町は、第二次世界大戦時に総統ヒトラーが使った山荘があることで有名ですが、ちょっと古いヨーロッパ映画が好きな方には戦後オーストリアを代表する女優ロミー・シュナイダーが育った町と言った方がよいでしょうか。いずれにせよ、今日ではドイツでも指折りの避暑地・保養地として知られています。

本年度は、一昨年・昨年のように美術や歴史の学習を朝から集中して行う旅行とは少々趣が異なり、ゆったりと自然を堪能する時間も少なくありません。今日も朝一番の見学値はケーニヒ湖。湖水地方といってもよい湖の多いこの地域でも、群を抜いた美しさで知られます。湖畔に建つ赤い丸屋根の教会は、カレンダーなどで見たことがあるという方も少なくないでしょう。

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静かな電気ボートで湖にすべり出ると、静寂に包まれる中、約45分間左右に切り立つ崖に囲まれた濃碧色の湖面を船は静かに滑るように進みます。途中船がモーターを止め、ガイドが壁面に向かってトランペットを吹くと見事なこだまが聞こえて来てきました。トランペットとそのエコー以外の音がない、ちょっと日本ではお目にかかれない世界でした。

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45分ほどで赤い丸屋根の聖バルトロメイ教会のある場所に到着、下船してしばし湖の風情を楽しみました。愛らしい6匹の小ガモをつれた母鴨の姿に、生徒は非常に喜んでいました。親は子に泳ぎ方、歩き方を教えているかのようでした。

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復路は30分ほどかけてもとの船着き場に戻ると、次の見学場所ケールシュタインハウスへの移動です。ケールシュタインは、1939m年にヒトラーのために建設された山荘で、海抜約1880メートルの場所にあります。前日のノイシュヴァンシュタイン城同様まずバスである高さまで登り、そこからは大型エレヴェーターで一気に山荘まで上がります。戦争中のドイツを舞台にした映画では時折登場する場所です。日独伊三国軍事同盟締結に向けて日本の外交官や軍人などもこの山荘を何度も訪れています。

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幸いにして天気は回復基調で、山荘のあるケールシュタイン山頂付近は、色様ざまな高山植物が咲き、時折雲が切れると美しいふもとの村が見える素晴らしい眺めでした。総統ヒトラーはこの絶景を見ながら、何を考えたのでしょうか。1939年以降のドイツが歩んだ道を思うと、複雑になります。

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ケールシュタインから下りると、ベルヒテスガーデン市街の中心部のレストランで昼食です。この日のメインはローストチキン。一人あたり完全に半身が出て、さすがドイツと言うのでしょうか、毎回相当量の肉が出ます。ここでも、男子は肉に喜び、女子はデザートを楽しむという傾向が見られました。

この日最後の見学場所は、かつて岩塩を掘っていた鉱山跡です。隣接する町がザルツブルク(Salzburg=塩の町)というくらいで、地下には膨大な岩塩が埋蔵されており、かつては岩塩の採掘が盛んでした。中世にあっては、この地域の富の最大の源泉であったといっても過言ではありません。20世紀末に採算性の問題から塩鉱としての操業は終了しましたが、その跡が体験型の博物館となっています。今回見学したのは、ベルヒテスガーデンとザルツブルクに挟まれたハラインという町の塩鉱です。因みに、おそらく世界で最も有名なクリスマスソングと言っても良いであろう「きよしこの夜」の作曲者フランツ・クサーヴァー・グルーバーは、長年このハラインに住んでいました。

まずは往時の鉱夫たちが着用したものに似た作業着を着て、トロッコに乗って鉱内へと進むと、気温が徐々に下がり少々肌寒いほど。構内は季節を通して18℃程度ということで、夏は涼しく、冬は暖かく感じられるのだそうです。かつての採掘方法をドイツ語と英語でガイドが説明してくれましたが、採掘といってもドリルなどで力尽くで掘るのではなく、鉱内に水を引き込んで塩が水に溶けるのを待ち、塩水を吸い上げた後に煮詰めて水分を飛ばし、塩を取り出していたのだそうです。

見学中はかつて鉱夫が使った地中深く潜るための木製滑り台や、採掘後地底湖のようになった部分で使われた小さな艀に乗ったりと、飽きさせない工夫がなされていました。また、坑内を見学するうちにも、一度国境を越えてドイツに入りまたオーストリアに戻って来たのですが、国境とは何だろうかと再び考えさせられました。

天井や壁には今でも塩が浮いていて、したたる水もかなり濃い塩水で舐めると塩辛く、ここがかつて塩が埋蔵されていた場所であることが実感できました。

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この晩の夕食はホテルのヴァイキング。早めに部屋に戻り、帰国に向けて荷造りです。

 

7月30日(火)ザルツカンマーグート→ミュンヘン→パリ・シャルルドゴール空港

長かったサマースクールも今日が最終日。本来ならば、7月28日に多少市街を歩くことになっていたのですが、このドイツ・オーストリア圏でも屈指の美しさを誇る町をほとんど見ずに帰るのももったいないということで、予定を少々変更して、まず朝一番にザルツブルク旧市内を散策しました。天候はかなり回復して時々日差しがのぞく薄曇りです。

まず入ったのはミラベル庭園と宮殿。この庭からは見上げる城の姿は、海外旅行のパンフレット等でよく見かける定番の眺めです。モーツァルトの音楽はその生地ザルツブルクに良く似ているという人がいますが、この美しい町を歩くとそのような指摘がよく理解できます。

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ザルツッハ川にかかる橋を越え、一昨日見学したモーツザルト生家のあるゲトライデ通りの一本手前を右折して、「馬の洗い場」へ。そしてこの広場の前から続くのが夏のザルツブルク音楽祭の会場です。大劇場、小劇場のほか、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中でトラップ一家が出演したフェル全ライトシューレという劇場と、3つのホールが並んでいますが、まだ朝ということで周辺はいたって静かでした。ドイツのバイロイトとならび、ヨーロッパ二大夏の音楽祭の会場といして、夕方以降は一変して華やかな雰囲気に包まれます。

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さらに歩みを進め大聖堂に。大司教座として発展してきたザルツブルクだけあって、かなり規模の大きな聖堂です。中世8世紀にはにはアイルランド出身の聖フィルギルがこの大聖堂で発展に貢献しました。ちょうどパイプオルガンの練習中で、荘厳な響きはヨーロッパらしさを強く感じさせました。

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約2時間ザルツブルク市内を散策した後は、サウンド・オブ・ミュージックの舞台ともなったザルツカンマーグートへ。バスで30分ほど移動すると、見事な湖水地方が広がります。その中でも特に有名なヴォルフガンク湖畔で30分ほど自由時間をとり、その後レストランで早めの昼食。今回の旅行で実質最後の食事は、オーストリア名物のシュニッツェル(カツレツ)でした。

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昼食後は、一路ミュンヘン空港へ。アウトバーンの混雑が予想されるので、1時間ほど余裕をみての出発でした。約3時間でミュンヘン空港到着。そしてミュンヘンを飛びたち、パリで深夜発のエール・フランス便に乗り換えて一路羽田へ。

ほぼ定刻通りに羽田に到着し、バゲージが出てくるのに多少時間がかかりましたが無事保護者のみなさんが末到着口へ。

長かったサマースクールでしたが、英語の学習はここが出発点です。今回得たこと・感じたことをこれからの学習に役立ててほしいと思います。

 

 

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