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学校行事

高校2年生修学旅行(国外)リポート 5日目

2018/03/08

本日から2日間、ヴィーンを見学します。朝の天候は曇り、2℃ですが、昼にかけて天気は回復し、気温も上がるとの予報。期待したいところです。朝食には本場のソーセージも出ていました。

最初の見学地は、シェーンブルン宮殿。ハプスブルク家の夏の離宮で、オーストリアでも最も美しい宮殿と言われます。マリア・テレジアもここで生活しましたが、その王女で、後年フランス王ルイ16世に嫁ぎ、革命の中パリの断頭台で処刑されたマリー・アントアネットが幼少時を過ごしたのもこの宮殿です。神童時代のモーツァルトもこの宮殿でマリア・テレジアの前で演奏をしています。

この宮殿は、総室数が1400超で、現在の宮殿は18世紀半ばにマリア・テレジアによって増築・整備されたものですが、基本的にバロック様式、内装の一部はロココ様式です。公開されている室数はさほど多くありませんが、中国、日本、インドから取り寄せた家具・調度品が少なくなく、おそらくは18世紀半ばに輸入されたと思われる日本の漆器、伊万里焼なども多数あり、「江戸時代の日本は鎖国していた、と言うのはもう止めよう」という昨今の日本史教育の傾向を裏付けてくれます。ヨーロッパは、実は案外アジア趣味の長い伝統を持っていたことを、生徒は実感をもって理解できたと思います。

宮殿の庭園にはまだ雪が残り、例年とは全く異なる風情が印象的でした。

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次の見学地は、アウガルテン工房です。アウガルテンはオーストリアを代表する磁器の工房です。日本でも売られてはいますが、非常に高価です。昨年2月に東京マラソンに参加して東京・京都が大好きというオーストリア人女性の案内で、製作工程を見学。ヨーロッパ磁器の歴史は、17〜18世紀に中国から輸入していた磁器が非常に高価であったため、なんとか国産化したいという動きが欧州各国にあり、最初に成功したのがドイツのマイセンで、その次がこのヴィーンだということです。アウガルテンの創業は1718年というから、今年はちょうど創立400年にあたります。製作のほとんどは細かい手作業で、大量生産とはほど遠く、工場というよりはまさに工房という印象です。工房内は写真撮影禁止でしたが、博物館となっている部分は撮影可で、昔の炉などがおかれていました。

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昼食は市役所の地下。市役所地下といっても、ゴシック様式を模した見事な内装です。ドイツ語圏では市役所旧庁舎の地下は往々にして、無難で良心的なレストランになっていますが、ここヴィーンも例外ではありません。メニューは、ヴィーン名物の仔牛のカツレツです。イタリア戦役に出かけたかのラデツキー将軍がミラノから持ち帰ったレシピがその始まりと言われますが、日本のトンカツとの相違は、肉が子牛であること(豚の場合も多いが・・・)、肉の厚みがかなり薄いこと、等々です。このレストランは非常に混雑していましたが、隣席には、昨晩楽友協会でベートーヴェンの第9交響曲を歌ってきたという日本の合唱団の巨大な団体が入っていました。

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昼食を終え、戸外に出ると、天気予報の通り青空がのぞいています。ポンペイで短時間太陽を見ましたが、なんとも久々の晴天らしい晴天となり、気温もぐんぐんと上がって、すっかり春らしくなってきました。

昼食後最初の見学は、ホーフブルク宮殿です。毎年ここではエリーザベト皇后に関わる展示とハプスブルク王家の人びとの生活を紹介する展示を見学します。ある意味で王侯貴族の華やかな生活を知る場ではあるのですが、むしろ19世紀後半〜20世紀初頭のヨーロッパがいかに不安定であったか、君主制がいかに限界に近づきつつあったのかを学ぶよい機会でもありました。今年は2018年、第一次大戦の終結、ハプスブルク帝国の瓦解とオーストリア共和国の成立からちょうど100年にあたります。第一次世界大戦は、エリザベートの夫であった皇帝フランツ・ヨーゼフの後継者であるフランツ・フェルディナントがサラエボで暗殺されたことを契機に始まりました。生徒にとっては、現代世界史が身近に感じられるきっかけになったはずです。

 

ホーフブルク宮殿を出て、バスとの待ち合わせ場所に向かう途中、映画「第三の男」のロケ地を通りました。ハリー・ライムを友人のマーチンスが訪ねて来て、ハリーが事故死したという話を聞く場面です。生徒たちはこの映画を見ているので、興味津々だったようです。

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バスに乗ると、今度はベルヴェデーレ宮殿へ。ここもプリンツ・オイゲンの建てた見事なバロック宮殿で、やや小高い丘の上にあるため、庭からはシュテファン大聖堂などヴィーンの中心街を見下ろすことができます。すっかり晴天となり、ヴィーンの遠景は見事なものでした。また、この宮殿は絵画館になっており、ヴィーンの世紀末芸術を代表するクリムトやシーレの傑作があることでよく知られています。生徒は、クリムトの作風の変遷を辿りながら見学、もちろんその中には特に名高い「接吻」も含まれます。世紀末の現代芸術は、やはり広い意味では私たちも同時代人だからなのでしょうか、生徒たちにはルネサンスの絵画よりかなり分かりやすかった、乃至は共感しやすかったようです。昨晩聴いたマーラーもクリムトとほぼ同時代人であり、生徒たちは世紀末ヴィーンを堪能したことと思います。

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実に充実していた本日の見学日程ですが、最後の見学場所はプラーター公園の大観覧車です。見学地と言うと少々オーバーかもしれませんが、しかしヴィーンの名所の一つであり、ここもあの「第三の男」のロケ地です。マーティンスがハリーと再会し、ハリーが虚無的なセリフをはき続ける場面です。暮れなずむヴィーンの街を見ながら、生徒は観覧車の中で大興奮で写真を撮っていました。何故大興奮なのか? やはり高い場所に上ったからでしょうか・・・。

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この日の夕食は、ブドウ畑にもほど近いグリンツィングのホイリゲ・レストランで。実はここも「第三の男」と関連があって、この映画ですっかり有名になったツィター奏者アントン・カラスがよく流しで弾いていた場所でもあります。別に「第三の男」ゆかりの地巡りをしてる訳ではないのですが、あの映画を作った人たちが上手にヴィーンの名所を使ったということなのかもしれません。また、ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書の家もこのグリンツィングすぐ近くにあります。メニューは各種肉の盛り合わせ。質はともかく量にやや不満を持っていた一部男子にとっては、嬉しい夕食となりました。

長かった1日もこれで終了。今日もほぼ2万歩の日程でした。修学旅行もいよいよあと残すところ1日となりました。

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