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学校行事

中学3年生修学旅行リポート 3日目 奈良→宇治→京都

2019/10/24

10月23(水)、修学旅行も3日目、今朝は秋らしいさわやかな晴天の中、まず春日大社に向かいました。藤原氏の氏社であるこの神社は、朱塗りが鮮やかなのが印象的です。8すぎと早いこともあり、静かな境内には何ともいえない風情がありました。

春日大社を抜け階段を上がると、目の前に若草山が広がります。そして、あちこちに奈良の神獣である鹿が身を休めていました。長閑な、いかにも奈良という眺めに、生徒たちの心も自然に和むものがあったようです。

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若草山を右手に見つつ東大寺の境内に入り、最初に見学したのは三月堂(法華堂)です。ここでは、天平時代を代表する仏像、不空羂索観音ほかを見ました。1300年近く前につくられた豪奢な天平仏に、生徒たちは圧倒された様子を見せていました。三月堂の後は隣接する二月堂に上がり、真っ青な秋空の下の奈良市街と東大寺大仏殿を眺めました。

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いよいよ次は大仏殿を見学。今日は比較的空いていて、ゆっくりとした見学が可能でした。大仏は8世紀以来、何度も火災等にあい、規模も表情も本来の姿とはかなり異なると言われます。しかし大仏を初めて実際に見て、小さく見える眉毛や手の指が実際は大人の身長ほどもあるというスケールに、生徒たちは驚いていました。

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大仏見学の後は南大門へ。ここでは、運慶、快慶の手になる金剛力士像を見学。大仏と言い金剛力士像といい、教科書に出てくる仏像を実際に見たことは、生徒にとっては貴重な経験となりました。

東大寺見学を終え、徒歩で興福寺へ。興福寺は、藤原氏の氏寺と言うべき存在で、平安時代から中世にかけて大和国では圧倒的な勢力を誇りました。往時は豪華な堂宇を誇りましたが、明治に入って廃仏毀釈運動の中で相当のダメージを受けました。しかし、いまなお日本で2番目に高い木造五重塔があり、さらに宝物館には仏頭や阿修羅像などの見事な仏像を持つ、奈良を代表する寺院です。生徒たちは、繊細な阿修羅像や広く雄大な境内に強い印象を受けていました。

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興福寺の見学を終えると、いよいよ京都への移動です。バスの中で昼食を済ませ、午後最初の見学先は宇治平等院です。あいにくと鳳凰堂は修復中で、今年は見学ができません。平等院というと十円硬貨というイメージがありますが、実は1万円紙幣の鳳凰も平等院から採られています。残念ながら鳳凰堂の中の阿弥陀如来を間近で見学することはできませんでしたが、宝物館では創建当時の姿の再現動画も見ることが可能で、平安時代の為政者の思い描く極楽とはどのようなものであったのか、生徒はイメージを持つことができたのではないかと思います。

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この後はいよいよ京都市内に入りました。まずは東寺の見学です。平安初期に嵯峨天皇から空海に下賜された真言宗の寺ですが、講堂にあるいわゆる立体曼荼羅が有名です。大日如来を中心に、21体の仏像が真言密教の世界とは何かを示していると言われています(ただし現在1体が修復中)。生徒たちは、密教世界を体現しているという仏像群をどう理解してよいのか、やや戸惑っていた様子でした。この後は阿弥陀如来のある金堂と、午前中見学した興福寺の塔をさらに4メートルほど上回る54.8メートルの日本最大の高さを誇る五重塔を見学しました。

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次は三十三間堂です。中央には座像、そして左右に500体ずつの立像の、計1001体の千手観音像により圧倒的な印象を見る者に与える寺院です。これだけの仏像が並ぶ威容に、生徒たちは非常に驚いていました。と同時に、中世人の宗教観のみならず、当時の日本の経済力や彫刻技術の水準の高さも実感していたと思います。

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三十三間堂の後は徒歩で耳塚へは。豊臣秀吉による文禄慶長の役では、戦功の証拠として朝鮮半島から耳や鼻を持ち帰りましたが、この耳塚は江戸期に入りその供養のためにつくられたと言われます。昨今日韓関係がかつてなく悪化していますが、この耳塚を前に考えさせられることが少なくありません。

耳塚のすぐ近くにあるのが豊国神社で、その隣りにはかつての方広寺の鐘が保存されています。「君臣豊楽」「国家安康」という鐘銘が徳川を呪詛し豊臣の復権を願うものだという理屈から、この鐘が大坂の陣の発端となったことは時代劇などでおなじみの話ですが、どうやら生徒の世代にとってはそうでもないようで、ほとんどの生徒にとって初耳だったようです。戦国時代の雰囲気がまだ抜けやらぬ江戸初期の、少々物騒な雰囲気を感じることができたかもしれません。

この後はバスで清水坂の駐車場に移動し、さらに徒歩で清水寺へ。都会のターミナル駅のラッシュ時の混雑を思わせるほどの人出でした。いろいろな国の言語が耳に入り、まさに国際色豊かな観光客の波です。人をかきわけ坂を登り切り、清水の舞台へ。しかし、ここもあいにくと修復中で、舞台は本来の15程度の広さしかありません。平等院にしても清水寺にしても、本来の姿を見るべく、生徒には将来再訪してほしいと思います。

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清水では、この後自由時間を設定。生徒たちは門前の店で土産を購入していました。そして夕食会場は例年と同じく清水坂にある豆腐料理の順正です。今年は新館ではなく旧館(武田五一設計の国の有形登録文化財である五龍閣)の2階が割り当てられ、少々得をしたような気もしたのですが、座敷に座ることに不慣れな生徒が多く、少々苦労していました。京都の淡泊な湯豆腐は、特に男子には物足りなかったかもしれませんが、これもまた京都らしさということで、理解して欲しいところです。

 

神社仏閣ばかりの1日で、歩いた距離も半端ではなく、一部の生徒には「苦行」に近い3日目となりましたが、明日は班別で引き続き寺巡りとなります。疲れてきた頃と思います画、いよいよ旅行も後半に入りますので、再度気持ちを引き締めてほしいところです。天気は今日の夕方から雲が広がりました。明日の空模様が心配です。

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