2022/12/05
3日目 広島→宮島→大島→今治
12月1日(木)、3日目の朝は曇り空ながら、予報では傘のいらない一日となりそうです。
この日最初の見学地は広島の平和記念公園でした。1945年8月6日の原子爆弾投下時刻である08:15にあわせて毎日記念公園に響き渡るチャイムに間に合うように、少し早めにホテルを出発しました。
原爆ドームの前でバスを降りると、ちょうど通りかかったのが、いわゆる被爆電車でした。被爆しながら今なお現役で活躍する路面電車が2輛残るうちの1輛ですが、めったに見られないとのガイドさんの話でした。
生徒のほとんどが原爆ドームを実際に見るのは初めてで、原爆の痕跡を目の当たりにして、様ざまな感慨があったようです。被爆時の放射線による後遺症のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんを想い建てられた原爆の子の像の前では千羽鶴を献納しました。
その後はいよいよ平和記念資料館へ。資料館では、まず原爆投下以前の平和な時代の広島の庶民の生活が紹介されています。そしてそれと全く対照的な、被爆後の惨状や地獄さながらの実態の記録を多く見ることになりました。資料を見ると、駿台学園の生徒と同世代の当時の中学生の多くが、投下当時空襲による延焼を防ぐために建物を取り壊す建物疎開の作業にあたっていたようです。また、その他様ざまな作業に動員がかかっていたようで、朝早い08:15という時刻にもかかわらず、多くの中学生が自宅以外の場所で被爆していたことが分かりました。
資料館では、ご遺族から寄贈された形見の学生服や弁当箱などが多く展示されていました。被爆の恐ろしさと同時に、肉親をうしなった親子姉妹兄弟の深い悲しみや暖かい思いやりを伝える手記に胸打たれるものがありました。私たちの世界のこれからについて考える時、この日この場で学んだことを常に思いおこす必要があることが、生徒には分かったと思います。
記念館を出発すると、20分ほどで宮島口に到着し、フェリーで宮島へ向かいました。ここ数年改修工事のため鳥居全体を覆っていた囲いが撤去され、フェリーからは朱色の鳥居が徐々に近づく様がよく見えました。宮島では、専門ガイドさんの説明を聞きながら厳島神社などの見学をしました。この日は引き潮だったため、鳥居のすぐ近くで記念撮影を行いました。宮島は紅葉がちょうど見頃で見事でした。
昼食は、広島名物の牡蠣フライで、食後に参道でしばしお土産購入のための自由時間をとりました。
昼食後はチャーター船に乗り愛媛県の大三島へ向かいました。生徒は瀬戸内海の海上交通としての利便性を理解できたと思います。実際、この日も多くの貨物船などが瀬戸内を航行していました。
約2時間後、愛媛県の大三島に上陸。バスで、しまなみ海道の美しい橋を見下ろす亀老山展望台に移動、やや雲が多かったものの、雲間から今まさに沈みゆく真っ赤な夕日を見ることができました。そして、日没とともにあっという間に夕闇が訪れました。明日は晴天が期待できそうです。
この日の夕食は吉海いきいき館での海鮮バーベキューでした。生徒は鯛やサザエにひうち貝などの地元産の食材やおかわり自由の鯛めしなど、瀬戸内の海の幸を堪能していました。
予定通りホテルに到着。盛りだくさんの校外学習も残り1日となりました。最後まで怪我なく無事に過ごして欲しいと思います。