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学校行事

高校2年生修学旅行(国内)リポート 初日

2018/03/05

3月3日土曜日、本日から国内修学旅行がはじまりました。国内組は生徒118名が参加しました。飛行機は定刻通り8時40分に羽田空港を出発し、11時40分に那覇空港に到着しました。はじめて飛行機に乗る生徒もいて、緊張している様子も見られましたが、離陸時には歓声があがりました。 

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沖縄はあいにくの天気で雨が降っており、最高気温は24度で東京と比べると蒸し暑く感じます。 那覇空港から30分ほどバスで移動し、ひめゆり会館で昼食をとりました。昼食は、ソーキソバです。沖縄でソーキソバは1日当たり15万~16万食食べられており、毎日約1割を超える沖縄県民が食べていることになります。沖縄料理の代表格のソーキソバを食べ、沖縄に来た実感が湧いたようでした。 

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その後は、ひめゆり平和祈念資料館で学芸員の方から講話を聞きました。16歳のときにひめゆり学徒隊に入った上原当美子さんの戦争体験についての話です。 

 

ひめゆり平和祈念資料館は、沖縄戦に看護要員として動員されたひめゆり学徒隊の戦争体験を伝えるために、ひめゆり同窓会が設立したものです。沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒隊の遺影や遺品、生存者の証言映像や手記が展示されています。また、南風原の陸軍病院壕の一部や伊原第三外科壕内部を再現したジオラマなどがあります。

 

学徒たちの仕事は、負傷兵の看護や、水くみや食糧の運搬、伝令のほか、死体埋葬なども彼女たちの仕事でした。それらは弾の飛び交う壕の外に出て行かなければならないとても危険な任務でした。 

 

ひめゆり平和祈念資料館前にあるひめゆりの塔は、ひめゆり学徒隊の最後の地の一つである伊原第三外科壕の上に沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒の鎮魂のために、沖縄戦の翌年1946年に建立されました。この壕は沖縄陸軍病院第三外科勤務の職員やひめゆり学徒隊が南部撤退後に避難した壕で、1945年6月19日朝、米軍の攻撃により、多くの生徒や教師が亡くなった場所でもあります。 

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つづいてクラスごとに分かれ、壕や自然洞窟(ガマ)を訪れました。1・2・3・4組は糸数壕、5・6組はヌヌマチガマを見学しました。ガマは沖縄戦で多数の住民の避難場所、日本軍の陣地や野戦病院として利用されていました。

 

1・2・3・4組の見学した糸数壕(アブチラガマ)は、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある自然洞窟(ガマ)です。「アブチラガマ」とは、アブは深いたての洞穴、チラは崖、ガマは沖縄方言で洞窟やくぼみという意味です。軍医、看護婦、ひめゆり学徒隊が配属され、全長270mのガマ内は600人以上の負傷兵で埋め尽くされました。 昭和20年(1945年)5月25日の南部搬退命令により病院が搬退したあとは、糸数の住民と生き残り負傷兵、日本兵の雑居状態となりました。  その後、8月22日の米軍の投降勧告に従って、住民と負傷兵はガマを出て、米軍に収容されました。 

 

自分の手元の懐中電灯を消してガイドさんの話をうかがいました。懐中電灯を消すと、隣の人の姿さえ見えなくなるガマの暗さに当時の生活の厳しさを目の当たりにしました。多くの方が非業の死を遂げた場所であるということの認識が強まりました。 

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ホテルについてからは、戦争経験者の仲座ヨキさんから平和講和をききました。 教員をしていた娘さんに「平和教育に役立てたい、語り継がなければ沖縄戦は風化し、忘れられてしまう」と言われるも、語ることが辛かったので公の場で話すことはなかったのですが、病気で娘さんを亡くした後、語る以上に戦争が起こることの方が辛いと感じたために戦争体験を語るようになった方です。

 

お父様が戦争時入院中だったにも関わらず、10月10日の空襲後家に帰され、身体の弱っているお父様を連れてヤンバルに疎開するわけにもいかず、本島の自宅に残ったそうです。地上戦が始まると日本兵に南部に行くように指示され、摩文仁を目指しますが、そこも激戦地だったため家に戻ることに決めたそうです。しかし、家は爆弾の爆風でなくなっており、防空壕に避難するもその近くに爆弾が落ち、さとうきび畑に逃げ延びるもそこで従兄弟や兄を亡くす体験をされたそうです。終戦のことも知らず、壕での暮らしから解放されたのは10月末の雲ひとつない晴天の日で、連れてこられた南城市では既に学校が始まっており、壕で暮らしていた自分たちとの落差に驚いたそうです。

 

戦争体験のない生徒たちに対するメッセージとして、戦争のない平和な世界をつくってほしいということ、沖縄戦の残酷さを伝えてほしいということを語ってくださいました。

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これらの見学や講話を通して、生徒は戦争の悲惨さを実感し、今修学旅行に来られる平和の有り難みを痛切に感じたようです。

 
 
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