駿台同窓会
会長挨拶
同窓会員の皆様には、日頃より同窓会活動にご協力いただき誠にありがとうございます。 さて、同窓会も学園関係の諸先生、同窓会役員の皆さまのおかげで着実に運営しております。今後、当専用ページに同窓会活動、母校の情報も掲載してまいります。 当専用ページを同窓会会員相互の交流の場としていただきたく、今後ともご支援をよろしくお願いします。
駿台同窓会 会長 島田 浩勝
同窓会活動について
No | 項目 | 時期 | 活動内容 |
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1 | 梅花忌 学父・瀬尾義秀先生墓参 | 2月 |
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2 | 役員会 | 3月 | 理事・評議員会 |
3 | 総会 | 6月 | 定期総会 |
4 | 役員会 | 9月 | 理事・評議員会 |
5 | 歳末懇親会 | 12月 | 役員相互親睦会 |
学父の経歴
学父・瀬尾義秀先生の経歴をご紹介。
明治25年 | 広島県比婆郡高野町に小学校長瀬尾康彦の長男として生まれ、 幼少から博覧強記、また文才も豊かで、 教育者として立つ志も幼い頃からあった。 |
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大正03年 | 広島県師範学校本科卒、県立広島商業学校教諭 |
大正10年 | 上京、大倉高等商業(現在東京経済大学)講師 |
昭和02年 | 専修大学経済学部卒、同大教授、 東京女子医専教授(現東京女子医大学) |
昭和13年 | 駿台商業学校(本学園前身)、理事長、校長に就任 |
昭和25年 | 文部省青少年教護審議会長として「児童憲章」草案を作成 |
昭和41年 | 勲三等瑞宝章をうける |
昭和46年 | 2月12日腎不全により逝去(享年79歳)、総理大臣より銀杯をうける |
平成12年 | 生地の広島県高野町に町としてはじめて、顕彰の胸像と碑文設置 |
※墓地:多磨霊園(第22区/1種/77側)
沿革
昭和7年から現在までのあゆみ。
昭和7年 | 財団法人駿台商業学校として設立認可(東京市) |
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昭和9年 | 瀬尾義秀先生を理事長兼校長に推戴する議、理事会にて満場一致可決。就任 |
昭和13年 | 駿臺高等学校に校名を変更 |
昭和18年 | 駿台商業同窓報国隊発足。初代隊長に林龍雄氏就任、 駿台同窓万木会に改称 |
昭和20年 | 文京区第六天町50 本校舎を爆撃により焼失 世田谷区北沢2の148 第二校舎へ移転 |
昭和21年 | 台東区二長町小学校仮校舎、駿台中学校、駿台高等学校に名称変更。 昼間部設置、男女共学とする。 |
昭和24年 | 台東区黒門小学校に移転、台東区二長町小学校へ再移転 |
昭和26年 | 北区岩渕町1の401へ移転 |
昭和27年 | 母校救済のため、駿台同窓会に改称、発足。第2代会長に菰田良平氏就任 |
昭和33年 | 駿台学園中学校、駿台学園高等学校に名称変更 |
昭和35年 | 板橋区板橋6の3569へ移転 |
昭和36年 | 第3代会長に滋野開作氏就任 |
昭和38年 | 北区王子6の1に新校舎建築移転、 東京駿台天文台(20cm屈折望遠鏡)完成 |
昭和39年 | 瀬尾義秀校長除幕式、5階建校舎落成式披露 |
昭和41年 | 瀬尾義秀校長勲3等に叙され、瑞宝賞をうけられる |
昭和46年 | 理事長兼校長瀬尾義秀先生ご逝去(享年79歳) 天野平八郎先生校長に就任。瀬尾秀彰先生理事長に就任 |
昭和49年 | 瀬尾秀彰先生校長を兼任 |
昭和52年 | 体育館・講堂「プライマス・メモリアル・ホール」竣功落成式 |
昭和55年 | 第4代会長に青山偉和雄氏就任 |
昭和58年 | 梅花忌(学父13回忌)墓前祭開催、 林間施設 北軽井沢「一心荘」竣功式 |
昭和59年 | 北軽井沢駿台天文台(75cm反射望遠鏡)完成 |
昭和60年 | 音楽吹奏学部 韓国姉妹校ソラボル学園へ演奏会 |
昭和61年 | 天文部 オーストラリア・ハレー彗星観測、 姉妹校ウィレトン高校訪問 |
昭和63年 | ソウルオリンピック山田渉選手(全日制51回生)応援・姉妹校訪問 瀬尾秀彰理事長・校長、教育功労により藍綬褒章授章 |
平成3年 | 駿台学園中学校再開(第1回入学式)、天文部 ハワイ島・皆既日食観測 |
平成5年 | 姉妹校提携30周年を記念し、韓国ソラボル学園を訪問 |
平成7年 | 創立70周年記念講演会(任東権先生講演 定時制10回生) |
平成9年 | 同窓会・韓国姉妹校訪問の旅 |
平成10年 | 韓国姉妹校ソラボル学園新校舎落成記念式典、祝賀会参列 |
平成11年 | サッカー部 韓国姉妹校ソラボル学園へ交換留学 |
平成13年 | ドイツ・マルティーノ・カタリネウム姉妹校来校 サッカー部ヨーロッパ遠征 |
平成14年 | 校舎2号館全教室に冷暖房空調設備(エアコン)設置工事完了 校舎1・2号館、プライマス・メモリアル・ホール外壁リフォーム工事完了 |
平成15年 | 同窓会役員、文化放送「ラジオ同窓会『母校に乾杯』」に出演。 第5代会長に大久保寿郎氏就任、男子バレーボール部、中国遠征 |
平成18年 | 瀬尾兼秀先生校長に就任、第6代会長に青山偉和雄氏就任 |
平成19年 | 同窓会・学父瀬尾義秀先生の古里(広島県高野町)と菩提寺へ墓参(本誓寺) |
平成20年 | 同窓会・韓国同窓会表敬訪問とソラボル学園姉妹校訪問 |
平成23年 | 瀬尾兼秀先生理事長を就任、2号館・体育館耐震補強工事完了 |
平成24年 | 1号館耐震改築工事、2号館教室リニューアル工事完了 |
平成25年 | 食堂リニューアル |
平成26年 | 図書館リニューアル |
平成29年 | 学園長瀬尾秀彰先生ご逝去(享年84歳) |
令和2年 | 第7代会長に島田浩勝氏就任 |
移りゆく学び舎
駿河台校舎から現在の王子校舎までをご紹介。
駿河台校舎 「東京市神田駿河台1丁目2番地」は、駿台学園の生いたちの地である。当時は、駿台商業学校として、明治大学政経学部の建物にあった。現在の神田駿河台にあった。駿台学園の創立は、昭和7年2月23日。 | |
小石川校舎 昭和13年10月瀬尾校長にバトンが移って、更に経営は困難を極めた。しかし、「城は小さくとも、誓って天下の名城たらん」が徹底した。昭和20年5月25日、戦災で校舎が焼失。一時、世田谷の瀬尾校長宅に移転。台東区黒門小学校、二長町小学校へと再移転した。 | |
赤羽校舎 昭和26年3月北区赤羽岩渕町へ移転。1学年2クラス、苦労の連続という時代。昭和33年に駿台学園中学校、駿台学園高等学校へと名称を変更。 | |
板橋校舎 昭和35年から38年までの2年10か月間の仮校舎。江川太郎左衛門が江戸砲術研究をした地で、明治時代陸軍の火薬庫となったところ。弾痕がそこ、ここにあった。 | |
昭和38年移転時の王子校舎 昭和38年に2階建て(1号館)と5階建ての新校舎(2号館)が完成(現在の王子校舎)。校舎の周りは、レンガ造りの建物が多く見られ、高層建築は少なかった。 | |
昭和52年~平成14年の王子校舎 昭和52年に体育館・講堂(プライマス・メモリアル・ホール)が完成。翌年、2号館に増築校舎を完成。 | |
現在の王子校舎 平成23年に校舎・体育館の耐震補強工事を終了。 | |
新1号館 平成24年12月に耐震改築工事で、新1号館が竣工。モダンな建物の屋上に、テニスコートを備えた。大きな窓で明るい教室。障害者にもやさしい校舎、エレベーターやスロープも整備された。 |
制服の変遷
現在に至るまでの男女3種ずつの制服をご紹介。
昭和59年以前 | 昭和60年~平成16年 | 平成17年~現在 | |
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女子 | |||
男子 |
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